2019.4.18
選挙とは何か。市議会とは何か。
統一地方選挙は、全国的に今回も低調だと言われています。話題になるのは、なり手不足か議会不要論。この3年間、松本市議会に何度も足を運んで傍聴を続けた経験からしても、ある意味で当然だとは思います。予定調和の質疑応答、条例制定の気運は乏しく、市民を代表して予算配分やルールを決めるのが議会だと期待する方が無理だろうと感じていました。ところが、松本市議選は、31の定員に対して42人が立候補。何かが変わろうとしているのかもしれません。

選挙というのは、日本では極めて特殊な行為として受け止められてきました。歴史的経緯や年功序列を重んじる土壌など様々な背景があると思いますが、立候補することはもちろん、選挙運動に積極的に関わることも、特別なつながりを持つ人たちが行うものだという認識が、今も根強くあります。しかし、本来、投票によって自分たちの代表を決める選挙は、王族や階級のない社会であれば、すべての国民や市民にとって新たに何かを成し得るチャンスになるはずです。
選挙に対するハードルを下げたい。幅広い人材が政治に参入して切磋琢磨する状況を作りたい。NHK時代に全国の選挙報道の責任者を務めていたときから、思い続けてきたことです。時に、新党の結成や政権交代の動きと相まって、女性や若者、政治と縁遠かった分野の人たちが立候補する割合が増えることはありましたが、平成の30年間を振り返ってみると、選挙や政治が本当の意味で開かれたものにはならずに終わったように思います。

自分が当事者で経験して改めて実感したことですが、選挙というのは、ある種の異常さを孕んでいます。合理性だけでは割り切れない、人間関係だけが優先されるわけでもない、様々な事情や思惑が交錯する世界だと思います。だからこそ、日常の生活が安定しているときは、好んで近づく必要はないのかもしれません。しかし、令和の時代が始まる2020年代は、変化のスピードが極めて速く、私たちの日常の安定が大きく揺り動かされる事態が想定されます。
とりわけ地方都市は、東京一極集中を前提とした政治や経済が続く限り、従来のやり方で現状を維持していくことが難しくなります。東京の下請けではない、国政の末端組織ではない、独自の構想力と方法論で、「持続的な成長」を生み出していく必要があります。そのためには、あらゆる市民の叡智を正統なプロセスを経て結集できる場が必要です。本来それを行う場として作られたはずの制度が、市議会です。市議会を本来の姿に戻すことが、脱・東京一極集中には必要です。
松本市議選に大勢の新人が立候補したことの底流には、こうした問題意識が存在するのではないかと想像します。明治維新以来150年続く、地方から東京へという人材と資金の流れを、東京から地方へと逆流させる。そのためにまずは、松本で地域の人材と叡智をあまねく結集する拠点をつくる。名誉職でも順送りでも追認機関でもなく、自分たちの世代や地域や職業や仲間の代表に相応しい人材が切磋琢磨する市議会。今回の市議選が、第一歩になればと思います。

「政治とは何か。生活である」。
田中角栄の残した言葉が、改めて新鮮に切実に響きます。市議選が終われば、市長選挙まで10か月です。松本市民の生活をあまねく持続的に底上げするために、自分がやるべきことは何か。皆さんの声を聴き、皆さんに語っていきたいと思います。
選挙というのは、日本では極めて特殊な行為として受け止められてきました。歴史的経緯や年功序列を重んじる土壌など様々な背景があると思いますが、立候補することはもちろん、選挙運動に積極的に関わることも、特別なつながりを持つ人たちが行うものだという認識が、今も根強くあります。しかし、本来、投票によって自分たちの代表を決める選挙は、王族や階級のない社会であれば、すべての国民や市民にとって新たに何かを成し得るチャンスになるはずです。
選挙に対するハードルを下げたい。幅広い人材が政治に参入して切磋琢磨する状況を作りたい。NHK時代に全国の選挙報道の責任者を務めていたときから、思い続けてきたことです。時に、新党の結成や政権交代の動きと相まって、女性や若者、政治と縁遠かった分野の人たちが立候補する割合が増えることはありましたが、平成の30年間を振り返ってみると、選挙や政治が本当の意味で開かれたものにはならずに終わったように思います。
自分が当事者で経験して改めて実感したことですが、選挙というのは、ある種の異常さを孕んでいます。合理性だけでは割り切れない、人間関係だけが優先されるわけでもない、様々な事情や思惑が交錯する世界だと思います。だからこそ、日常の生活が安定しているときは、好んで近づく必要はないのかもしれません。しかし、令和の時代が始まる2020年代は、変化のスピードが極めて速く、私たちの日常の安定が大きく揺り動かされる事態が想定されます。
とりわけ地方都市は、東京一極集中を前提とした政治や経済が続く限り、従来のやり方で現状を維持していくことが難しくなります。東京の下請けではない、国政の末端組織ではない、独自の構想力と方法論で、「持続的な成長」を生み出していく必要があります。そのためには、あらゆる市民の叡智を正統なプロセスを経て結集できる場が必要です。本来それを行う場として作られたはずの制度が、市議会です。市議会を本来の姿に戻すことが、脱・東京一極集中には必要です。
松本市議選に大勢の新人が立候補したことの底流には、こうした問題意識が存在するのではないかと想像します。明治維新以来150年続く、地方から東京へという人材と資金の流れを、東京から地方へと逆流させる。そのためにまずは、松本で地域の人材と叡智をあまねく結集する拠点をつくる。名誉職でも順送りでも追認機関でもなく、自分たちの世代や地域や職業や仲間の代表に相応しい人材が切磋琢磨する市議会。今回の市議選が、第一歩になればと思います。
「政治とは何か。生活である」。
田中角栄の残した言葉が、改めて新鮮に切実に響きます。市議選が終われば、市長選挙まで10か月です。松本市民の生活をあまねく持続的に底上げするために、自分がやるべきことは何か。皆さんの声を聴き、皆さんに語っていきたいと思います。
この記事へのコメント
今まさに選挙戦のまっ最中にも拘らず、自分には、候補者の方々がそれぞれ何をしたいのか全く聞こえて来ません。自分自身に選挙に関心が無いのも一つの理由ですが。
しかし、裏返すと
「この候補者は自分らの生活をどの様に変えてくれるのだろう?」
「この人は政治理念、直近の変革構想など、何を考えて立候補しているのだろう?」
など、立候補者の発信するのが極めて乏しいので、共感するものが無く
「関心ないわ。」
で終わってしまうと感じています。
選挙カーで遊説をするよりも、たとえば候補者全員を集めて政策論争をしてもらい、それをネットなどの媒体で自由に見聞き出来る等の対応をしてもらった方が、個々の考えが伝わるでしょうし少しは共感できるものがあるように思います。
Posted by 西牧 at 2019年04月18日 17:18
上の方の考えに、物凄く共感致します。
10人ずつ位で候補者の方に討論会をやってもらい、松本ケーブルテレビなどで流してもらう❗……本当に松本を良くしてくれる思いのある方に一票を入れたいものですね。
Posted by M. at 2019年04月18日 23:42
私も同感です。
県議選での公開討論会がとても良かったので、市議選も人数が多いのがネックですが、皆さんの集まって討論する場があったらと思います。
内容もさることながら、その方の話し方や雰囲気が伝わってきます。
それをyoutube配信、多くの市民の目にとまり投票率も改善されるのでは。
今回の選挙では、何人かの候補者と直接お会いしました。
紙の上では、伝わらないものが伝わってきました。
全員でないのが残念でした。
Posted by 匿名 at 2019年04月23日 05:35