選挙に立候補することがキャリアになる社会
山梨県の大学で、月1回の講義をしてきました。テーマは、「マスメディアと政治」。自分の息子 と同世代の学生たちに、政治記者の視線で見つめ問いかけてきた、日本の課題と地方都市の未来 を伝え、どのようなスタンスで向き合っていけばいいかを考えてもらうことが、講義の目的です。
そもそも、政治とは何か。政治という言葉は、それぞれの立場や問題意識によって様々に異なって使われて きました。「政治は数、数は力、力はカネ」と言い放ったのは、闇将軍と言われた田中角栄元総 理大臣です。その田中をオヤジと慕った小沢一郎は、「政治とは、生活である」と訴えることで 政権交代を実現しました。ドイツの政治学者、カール・シュミットは、「政治とは、友と敵を区 別することだ」と指摘し、政治の本質が権力闘争にあるとする理解も広く浸透しています。この 難問に対して明快な答えを持ちたい、そうすることで政治を自分の問題として感じる人が増えると考えてきました。僕なりに到達した答えは、「政治とは、全体調整である」。
学生からは、「サークルやゼミにも、政治がある。いろんな考えがあっても、1つの方向性を作 ることは大事だと思った」「日本中の人が一致する問題解決の方法を見出すことはできないと思 うが、政治がより良く調整することで満足する人が増えるようにしていくことが大切なのかなと 感じた」といった感想が寄せられました。人生の大半を人口減少時代に生きていく、若い世代に とって、個別に異なる意見や利害を全体調整する政治の役割が、これまでより重要になることは 間違いありません。学生たちは、それを敏感に感じ取っているように思われます。学生の半数が 借りている奨学金の問題を例に、自分たちが求める制度に変えていくには「脱シルバーデモクラシー」 の実現が必要だと指摘すると、強い反応がありました。
それ以上に、学生たちの反応があったのは、選挙に関することでした。東京大学名誉教授で政治学者の御厨貴さんの著書「政治家の見極め方」に、こんな一節があります。「政治家でなかった人が政治家になる。その川を渡る決定的な通過儀礼が選挙なのです」「最初のうちは人前に自分を晒すことがたまらなく恥ずかしかったのに、自分の名前を連呼して握手しまくっているうちに
、羞恥心がぶっ飛んで快感に転じる段階がある」。自分が市長選挙に立候補して実感したことを、言い当てています。そして、御厨さんは、選挙に出ることへの見方を変えるべきだと提案します。 「日本では今まで、仕事を辞めて選挙に出る人は、よっぽどの変わり者か、ドロップアウトした 負け組に見られがちでした。選挙に出て落選したら、恥ずかしがって出馬自体を隠すような傾向さえありました。それっておかしくないでしょうか。落選した人間は、単に『残念でした』ではなく、むしろ立候補したこと、政治家になるべく奮闘したこと自体をキャリアの1つにしてもい い」。御厨さんの言葉を紹介しながら、学生たちに、選挙に挑戦した自分の体験と目的をざっく ばらんに話しました。
ある学生は、自分の音楽活動になぞらえ、「選挙とはライブ、政治家はミュージシャン」と興味 を示していました。別の学生は、「選挙に出たことをキャリアにするという話が印象的だった。 1つのキャリアとして立候補や政治参加ができる体制や意識が生まれればいいなと思った」 と共感してくれました。
答えのない難題が山積し、先行きが不透明な時代に入り、政治の役割、政治家の役割はますます 大きくなっていきます。だからこそ、政治に参画するハードルを低くして、これまで縁遠かった世 代や分野の人たちが政治家を目指し、多様な価値観や手法を持ち込むようにすることが求められ ます。選挙に立候補することを経験した者として、新しい世代や異なる分野を政治の世界につなぐ 役割を果たしたいと考えます。
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